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今回の産褥熱、大学病院のCT検査等でも断定はできませんでしたが、
恐らく『子宮内感染』が原因とのことでした。
産後よくあるケースではないようですが、死も影響するとっても危険な状態です。
産後、熱が出ても新生児を連れて病院へ行くには抵抗がありますが、
絶対受診しなければなおらず、こじらせてしまうと最悪のケースにもなってしまうようです。
正直、今回苦しむまでこんな状態になることを全く知識として持ち合わせていませんでした。
私の場合は、産院から救急車で大学病院まで搬送されてありとあらゆる検査及び手術、治療を受けて何とか今ではお家で安静という状態に持ち込むことができました。
超長くなりますが、治療記録を残します。
入院【2日目:日曜日】
8:00 驚くほどの回復を見せた朝。
朝一番の採血で炎症反応も落ち着き熱もスッカリ下がり、休日だったので長女もお見舞いに来てくれて家族団らんを過ごしました。
(CRP:5.3)
様子見て調子よければ退院できるかもとナースさんとキャッキャしていました。
入院【3日目:月曜日】
9:00 ようやくベッドから起き上がる。
夜通し熱は下がらず、体力はスッカリ落ちてしまいほぼ寝込んだ状態。そして母乳も垂れ流し状態(*_*)
水分と抗生剤の点滴だけ時間によって入れてもらう状態。
胸がカチコチで辛く、ナースさん補助のもと次女を連れてきてもらい授乳し残した分を搾乳。
朝食もほとんど食べることができず、終わった後ようやく主治医診察へ。
歩くこともままならず、まさかの車いす移動でした(^_^;)
採血、主治医の内診、問診を経て言われた一言が、
『もう大きい病院でしっかり診てもらおう!』とのこと。
目の前で、複数の病院へ本日搬送可能か確認の電話をしてくださり、
割と遠めの某大学病院が転院を受託してくださったので、転院が確定しました。
なんと、転院中も家族も大変だからと次女だけ看て下さるという暖かい信じられない言葉をかけてもらい不安がひとつでも減るように転院させて貰えました。
気が付けば、救急車で病室からまるでドラマのように搬送されていきました。
救急搬送のため、その後追いかけてくれた家族曰く超道が混んでいたようですがサクッと到着していました。
11:30 転院先での診察は激痛。
救急車で搬送された大学病院。あまりのデカさに驚きました。人生初の大学病院での治療でした。
救急ベッドからそのまま即座に内診台へ運ばれて診察スタート。何故か医師4人も居て囲まれていました。
そんなに珍しい症例ではないと思うのですが、4人がかりでの診察で焦りました。
内診は器具入れた瞬間に激痛で暴れてしまいました(←子宮が腫れているせい)。そしてなぜか尿管にカテーテルを入れると言われて全力拒否!!
帝王切開で入れられた傷が
癒えていないのに・・・拒否したらアッサリ受け入れられて普通の尿検査に切り替えていただけました。
部屋が片付け中ということで、人生初の分娩台で点滴と採血(失敗されて2回打つ)をうけて他検査まで待機していました。
13:30 CT検査に挑む。
人生初のCT検査。新しい点滴針を入れて造影剤を注入。
造影剤でカラダが熱くなるという説明を受けていましたが、悪寒がやってきてむしろ寒かった(^_^;)
サクッと終えて結果を待ちました。病室が準備できていたので病室へ。まさかの個室に差額ベッド代の恐怖を感じました。
さらに向かっていた家族が到着していました。産院とうって変わって入院備品が全て持ち込みだったので、荷物の準備をしてもらいました。
検査結果が出て医師から病状説明。
産院と結果は同じでCT検査からも子宮以外の異常は見られず、ただかなり子宮内に膿があるので、すぐさま『子宮内容除去術』の手術をうける必要があると説明。
同意して、手術を待ちました。
16:00 手術治療は麻酔で記憶なし。
説明を受けてから30分ほどで手術。最初に通された分娩台での手術でした。
点滴に麻酔と痛みどめを入れていたので、目を覚ますと手術はその間に終わっており片付けをしているタイミングでした。
旦那さんが来てくれて2時間安静にしていました。その間、手術をうけた状態で搾乳機と夕飯が運ばれ、まずは搾乳。夕飯はもちろん食欲なく全残し。
傷み止めがこのときにはまだ効いていて旦那さんもいたので、精神的には安定していました。
20:00 暴れる。
旦那さんも帰り、ナースさんにも『今日はもう痛い治療ないですからゆっくり休んでくださいね!』と言われてひたすら布団で休んでいました。
痛み止めも切れていたので布団をかぶってひたすら耐えていました。このときも熱は38.5℃ほど。熱はずっとありました。
が・・・何故か点滴場所を変えられてその場所が点滴中ものすごく痛くて、1度は耐えたのですが2度目は疲れも出ていてのか、
『もう痛いことないって言ったじゃないですか(;_:)』と本気泣き。←ホルモンバランスの影響もあったのだと思う。かなり迷惑な患者だったと思います。今思うと反省ばかり。
泣いたせいもあってか、もう緊張の糸がプチッと切れてしまいここから涙腺崩壊。
熱も上がって汗だくの39.8℃ほどになってナースさんがアイスノンを持ってきたのですが、まさかのそのまま(タオルなどに巻かれておらず)。
よって冷たすぎて使えないものを何故か大きいサイズを3個持ってきて心の中で『使えないじゃん。。』と思い、布団の隅に放置。
冷蔵庫もお金(現金払いではなくチャージが必要だけど、チャージされていないので使えず)を払っていないので使えず、
冷たいものが冷房を23度にするしか対抗策はなく都度搾乳をして泣きながら夜を過ごしました。
熱は一晩中下がりませんでした。
入院【4日目:火曜日】
8:00 朝イチ点滴に我慢の限界!
点滴の場所があまりにも痛くて、ナースさんに初めて反抗。ようやく場所を変えてもらったら全く痛くなくてやはり場所が悪かったのだと確信しました。
点滴の位置を変えた瞬間、熱も下がりカラダは楽になりましたが手術箇所に違和感が消えず辛い時間を過ごしました。
膣の部分に力が入ると痛いので椅子に座ることができず。自然分娩の方が使うドーナツクッションが非常に欲しかった・・・!!
前夜の涙腺崩壊が効いていて次女に会えない悲しさでずっと泣いていました。←かなり怪しかったと思う。
なぜならこのときナースさんに少なくともあと1週間は入院と言われていました。
ずっと泣いていてナースさんに心配されていも、点滴とアイスノンの件で信頼関係が完全に崩壊して心を閉ざしてしまっていた私。
搾乳と点滴以外はひたすら無気力に生きていました。
11:00 決定打の膣洗浄に完全に心を閉ざす。
ナースさんに治療の時間と言われて無気力なまま立ち上がると、膣洗浄と言われる。前日、激痛だった器具を入れると言われ足がすくみ歩けなくなってしまいまたもや涙腺崩壊。
取りあえず治療中止に。そのまま寝込みました。昼食も食欲なく食べられず
。
14:00 お見舞いに来た家族に暴言。
次女に産院で会ってきた帰りの旦那さんと母がお見舞いに来てくれましたが、、この時点で次女に会えないこと・座れないほどの膣の痛さ・まだ入院が続くことに対するつらさで心が崩壊していた私は誰にも会いたくなくて『今すぐ帰って。。』と泣きながら暴言吐いていました。。
入院手続きと現状について説明を受けて長女のこともあるので帰って行きました。←今思うと最低ですね。このときは心が疲れていたんだよ、と家族がフォローしてくれました涙
15:00 膣に異物感。戦ったガーゼ取り。
こんなに膣が痛いのはおかしいと思い(既に子宮の痛みはなし)、ナースさんに確認して貰ったところ、膣についてガーゼを術後を詰めているとのこと。自分で取っても良いと言われてトイレで2時間弱格闘して取りました。。。
何故ならこのガーゼ、、直径50センチ以上ある(個人の感覚ですが)巨大ガーゼで。。もう抜いても抜いても取れない、引っ張ると痛いの繰り返しでした(>_<)ナースさんに取って貰えばよかったと後悔しながら一人でトイレ汗だくになりながらやってました(病室個室で付属しているトイレなので誰にも迷惑はかけてないですよ)。乙!!
18:00 格闘を終えてグッタリ。膣洗浄を諭される。
ベッドで搾乳を終えて休んでいたところ医師登場(2人)。膣洗浄についての必要性を説かれ再度説得されるもガーゼの痛みが取れずにグッタリしている中で、勇気も芽生えず再度泣きながら拒否。
点滴加療をしているだけならここ(大学病院)にいる意味がないと言われてしまい、絶対に受けるように言われる。また旦那さんにも電話を入れられる。旦那さんからも説得されるも断固拒否。
『家に帰りたい』と号泣したところ、先生から点滴加療なら通院で前医の産院でもできるから戻る?っと提案され頷く私。
その場合、
・せっかく良くなってるけど完全に治ったとは言えないので保証できない
・悪くなったら再入院、その場合はまた来ることになるし治療は拒否したら一生治らない
・責任は自分で取ること
と言われて了承し、退院へ動き出す。
前医にも許可を取って貰い、21時頃に退院が決まりました。
多分、先生や病院の方はみんな呆れていました(´`:)
19:30 急ピッチで退院準備&点滴。
荷物をササッとまとめ、母の強力を仰ぎ旦那さんにも21時にお迎えに来てももらうことが確定し夕飯は少しだけ食べて待ってました。
すると、最後に抗生剤の点滴を打って迎えを待ちました。
21:00 病状説明と退院。自分の思いもよらぬ病気を知る。
医師による病状説明をうけました。入院時の炎症値はやはり異常値。他の異常はなく、やはり子宮によるものとほぼ断定できるとのことでした。
(CRP:19.9)
本来なら、こんな高い数値の患者は絶対退院なんてさせられないことを何度も言われ、くれぐれも絶対安静し明日は産院へ行くように説明され紹介状を渡されました。
その中で、CT検査で他疾患が見つかったけど知っているか聞かれると思いもよらぬ病名が。
それは『多発性腎嚢胞』。遺伝性の疾患です。
父の家系がほぼこの疾患を患っていて親戚の多くは腎不全で透析加療をしています。
父も長年腎不全を患っていますが、ぎりぎり透析加療は免れている状態。。
とはいえ、自分まで遺伝しているとは思っておらず目からうろこ。衝撃的でした。つまりはふたりの娘たちにも遺伝している可能性があるということ。
旦那さんは『まだ症状ないんだし、だれでもいずれは病気になるし健康でいられる病気。』的なニュアンスの言葉を言っておりすごく安心しました。
一先ず、この疾患については治療できることはないようなのでそのまま退院となりました。
自宅に帰っても長女は祖父母宅にお泊り・次女は産院で管理のため、夫婦ふたり。
とっても静かすぎる夜。旦那さんはお迎え等で疲れてすぐに寝てしまいましたが、私は次女に会えず妙な緊張感で眠れる夜を過ごしました。
この日は1日も発熱しませんでした。
通院【5日目:水曜日】
9:00 点滴加療スタート。次女との丸2日振りの再会。
朝イチで産院へ抗生剤点滴のため通院。点滴中に次女を連れてきてくれて久しぶりの対面でした!
眠る顔に癒される時間。新生児期の次女にもう会えないと思っていたので、無理やりでも退院したことに後悔はないと心から思いました。
熱もなく採血の結果はやはり異常値ではあるものの、内診からも経過は良く腹痛も生理痛ほどの痛みだけだと話すと、
『本当は入院させたいけど、帰りたいよね?』と確認され即答で『はい』と。
1日午前と午後で間を6時間空けて点滴加療しようという結論になり1日2回の通院と、自宅では家事不可。絶対安静ということで次女と共に帰宅できました。
17:00 長女・次女を連れて点滴。
保育園帰りの長女との久々の再会をして(何故か次女のときのような感動はなし←出産のときも離れていたしな・・・笑)、2度目の点滴。
暴れる長女を祖母が抗生剤の点滴中にあやしていて大変そうでした。
18:30 帰宅後バタンキュー。
帰宅すると体力が落ちているせいか、そのままベッドに倒れこみました。
次女の授乳・オムツ替え以外は育児もできぬ状況でした。。
通院【6日目:木曜日】
9:00 点滴加療と突然の治療終了。
連日の朝イチで産院へ点滴のため通院。点滴はなぜか陣痛室に専用部屋を作ってくれていたので、そこで優雅に過ごせました。
ここで気付いたのですが、長女・次女のときも帝王切開分娩だった私は陣痛室・分娩室へ入った経験がなかったのですが、思わぬかたちで両部屋を制覇しました(゜o゜)
点滴終了後に医師診察で、採血で炎症値が遂に正常値になったとのこと。(正式な数値は言われず。)
よってもう午後から点滴に来なくて良いよーと言われましたヽ(;▽;)ノ!!
ただし、
・熱は1日3回はきちんと測ること
・処方した内服の抗生剤はしっかり服用すること
・腹痛など異常があればすぐに連絡すること
・来週受診すること
・無理せずしっかり自宅療養すること
を約束して帰宅しました。
よって、これにてひとまず治療終了です!!
まだもちろん無理は出来ない状態ですが、4日目にメンタル的に崩壊していてワガママ言って退院してなかったらまだ大学病院で入院を間違えなくてしていたので、この状態に早期に持ち込めたのは本当に良かったことです。
ただ、体力もなく今日も1日の大半はベッドで次女と過ごし家事はお休みしてます。
食欲も戻らず薬のために毎食何とか口にしている程度です。
熱もなく腹痛がないので子宮内感染が再熱していることは無さそうですが不安が抜けません。
最初に面倒臭がらずちゃんと先週の木曜日の時点で受診していればここまでこじらせることなく済んだと思うと後悔しかありません。
産褥熱恐るべしです
これから出産する方、済ませたばかりの方、
もし産後まもなく体調を崩した場合感染症の可能性もありますので本当にしっかり病院に早めに受診して下さいね…
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#ママ #産後
まだ産後2ヶ月も経ってねぇわ!帰ってくるの早すぎる!!張り切ってるとこ悪いけどもう活躍の機会ない予定なの‥悪露であって欲しい‥